大江健三郎の描く痴漢の心理

大江健三郎の「性的人間」では、性のさまざまな局面が取り上げられるが、特に興味深いと思ったのが痴漢についての記述である。

この作品では、痴漢の現場が描写される。

「ある夕暮れ、Jは国電中央線の下り快速電車に乗っていたかれのすぐまえに、かれと同年輩の娘が、かれと直角に、そしてかれの胸、腹、腿のあわせめに、その体をおしつけて立っていた。Jは娘を愛撫していた。右手は娘の尻のあいだの窪みからその奥にむかって、左手は娘の下腹部の高みから窪みにむかって。そしてJのむなしく勃起した男根は女の腿の外側にふれていた。・・・はじめのうちJは恐怖におののき息づかいも荒かった。娘は叫ばないだろうか?その自由な二本の腕でJの腕をつかみ周囲の人々に救いをもとめないだろうか?最も激しく恐怖しているときJの性器は最も硬くなって娘の腿にむかってきつくおしつけられている。・・・しかし娘は叫ばない。唇はかたくひきしめられたままだ。そして舞台に切られた垂れ幕がおりるように、瞼が不意にきつく閉じられる。その瞬間、Jの両手は尻と腿の拒否から自由になる。柔らかくなった尻の間をなぞって右手はその奥にとどく。ひろがった腿のあいだを左手は正確に窪みにいたる。
そしてJは恐怖感から自由になる、同時にかれ自身の欲望も希薄になる。すでにかれの性器は萎みはじめている。・・・やがてJは自分のふたつの手の指先に、その見知らぬ他人の孤独なオルガスムを感じとった。」

ある記事では、精神保健福祉士の方が興味深い報告をしている。https://www.huffingtonpost.jp/2017/10/18/sexual-molester_a_23248308/

「痴漢を突き動かしているのは性欲だけではありません。以前、200名を超える加害者に聞き取り調査を行ったところ、過半数が「痴漢の行為中に勃起していない」と回答しています。また、対象行為直後に駅のトイレなどで射精するタイプは少数です。つまり性的欲求を満たす目的で行為に及んでいるわけではないと分析できます。

多数の痴漢加害者にヒアリングを重ねて導き出された答えは、痴漢行為は彼らにとって「ストレスへの対処法」であるということです。スポーツで汗を流したり、趣味に没頭したりするのと同じ感覚で、彼らは痴漢行為で自身のこころを安定させているんです

加害者のヒアリングで浮かび上がってきたのが、「自分より弱い存在を支配したい」「征服したい」「じわじわいじめることで優越感を味わいたい」という声でした。

「釣り」に例える人もいましたね。「今日はいい獲物が釣れた」というギャンブル性やレジャー感がある、と。」

実際、大江健三郎も「性的人間」の中で、痴漢の動機として、ギャンブル的な快楽を指摘している。

「痴漢たち、この東京に数万人をかぞえながら、きわめて孤独でしかない、心貧しくむなしく危険な熱情にみちた日常生活の闘牛師、厳粛きわまる綱渡り師たち・・・。

かれらはもの哀しいほどにもいかめしい顔をして切実に滑稽に、地位やら名誉やら、ときには生命までをも露骨な危険にさらして、徒手空拳で、ごく小っぽけなつまらない快楽のために活動する。

・・・

痴漢たちは、発見され処罰されることをきわめて深くおそれてはいるものの、同時に、その危険の感覚なしには、かれの快楽は薄められあいまいになり衰弱し、結局なにものでもなくなる。禁忌が綱渡り師にその冒険の快楽を保障する。」

そして、逮捕という本当の危機に至るまで、繰り返されるという。

「そして痴漢たちが安全にかれの試みをなしとげると、その瞬間、安全な終末が、サスペンスのなかの全課程の革命的な意味を帳消しにしてしまうのである。結局、いかなる危険もなかったのだから、いままで自分の快感のかくれた動機だった危険の感覚はにせにすぎなかったのであり、すなわち、いまあじわい終ったばかりの快楽そのものがにせの快楽だと、痴漢たちは気がつく。そして再びかれはこの不毛な綱渡りをはじめないではいられない。やがて、かれらが捕えられ、かれの生涯が危機におちいり、それまでのにせの試みがすべて、真実の快楽の果実をみのらせるまで・・・」

そして、小説の最後で、主人公は真実の快楽の果実をみのらせる。

「Jは地下鉄の混雑した車両のなかへ乗り込んでゆき、人々の押しつけあっている体のあいだをためらいなくぐんぐんと進んで行き、約束でもしていたように迷わずひとりの娘の背後にたどりつくと素早く周囲を見渡した。いまはもう電車の轟音も人々のざわめきも、かれの耳のなかでじんじん鳴っている熱い血の音に吸いこまれてしまった。かれは眼を硬くつむり雉子のように肥って抵抗感のある娘の尻のあいだのひめやかに熱い窪みに裸の性器をくりかえしこすりつけた。たちまちかれは後退不能の一歩を踏みだそうとしている自分を感じた。新生活、自己欺瞞のない新しい生活、かれは赤く燃える頭のなかで小さな呻き声をあげそのままオルガスムにたっした。外部のすべてのどよめきが蘇った。かれの精液はもうぬぐいがたく確実に娘の外套を汚しひとつの証拠として実在していた。一瞬、一千万人の他人共がJを敵意の眼でみつめ、J!と叫びたてるようだった。至福感とせりあっていた恐怖感の波が限りなく膨張してJをのみこんだ。」

現実的には、逮捕されても繰り返してしまう心理もあるようだ。https://toyokeizai.net/articles/-/225090

大江健三郎の小説の面白さは、このような現実の加害者のインタビューを読む以上に、痴漢する男性の気持ち、つまり興奮感と恐怖感をリアルに想像できるところであろう。

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