大江健三郎の描く2つの射精

大江健三郎の「セブンティーン」には、文学者らしく、射精の様子が生き生きと描かれている。

「次の夏までにおれの筋肉は頑丈になり、隅々まで発育し、海で女の子の眼をひきつけるだろう。それに同年輩の男の子たちの心に尊敬の熱っぽい根を植え付けるだろう。海の風の塩辛い味、熱い砂、太陽の光が灼けた皮膚になおもふりかけるムズガユ粉、自分や友達の体の匂い、海水浴する裸の大群衆の叫喚のなかで不意におちいる孤独で静かで幸福な目眩の深淵、

ああ、ああ、おお、ああ、

おれは眼をつむり、握りしめた熱く硬い性器の一瞬のこわばりとそのなかを勢いよく噴出していく精液、おれの精液の運動をおれの掌いっぱいに感じた。

そのあいだ、おれの体のなかの晴れわたった夏の真夏の海で黙りこんだ幸福な裸の大群衆が静かに海水浴しているのがわかった。

そしておれの体のなかの海に、秋の午後の冷却がおとずれた。

おれは身震いし、眼をひらいた。精液が洗い場いちめんにとびちっていた。それは早くもひややかでそらぞらしい白濁した液にすぎなくて、おれの精液という気がしなかった。おれはそこらじゅうに湯をかけてそれを洗い流した。」

この文章は、海のイメージを背景に、射精に至るまでの高揚感や興奮感で始まる。そして、射精の瞬間に来る一瞬の快感を「ああ、・・・」という感嘆で表現する。そして、握りしめた手に、ドクッドクッと精液の排泄が伝わってくる様子がわかる。精液が排泄されている間のオーガズムを、黙り込んだ幸福な裸の大群衆の姿で表現する。そして、賢者タイムに入って急に意識が醒める様子が、手にとるように分かる。

好きな女性のことを想像したり、運動してテストステロンが高まった時の射精。体に高揚感を感じて、自然と「熱く硬い性器」になり、ほとばしるエネルギーを感じさせるような射精だ。

このような若さあふれる射精を描いた直後に、「セブンティーン」の中で、描かれる2度めの射精は、全く別物である。主人公は、将来への憂鬱な気分から、就寝前に2度目の射精を行う。

「ああ、簡単に確実に、情熱をこめてつかむことのできる手を、この世界がおれにさしだしてくれたなら!おれは弱々しくあきらめて再びおれの船室ベッドに倒れ、毛布のあいだをまさぐって性器をおれの指でつかまえると自涜するためにむりに勃起させはじめた。

明日は進学のための学力テストと体育の試験がある。二度も自涜したらおれは明日疲れ切っていて八百メートルを走る試験なんか支離滅裂だろう。おれは明日にたいして漠然とした怯えを感じた。しかし恐怖の夜からせめてほんの短い間でものがれるためには自涜するほかみちがないのだ。・・・おれは17歳だ。みじめな悲しいセヴンティーンだ。・・・しかしオルガスムが近づくとおれのまわりには桃の花が咲きみだれ、温泉が湧きこぼれラスベガスの巨大なイルミネーションが輝いて、恐怖や疑惑や不安や悲しみや惨めさを融かしさってしまった。

ああ、生きているあいだいつもオルガスムだったらどんなに幸福だろう、

ああ、ああ、ああああ、

おれは射精し股倉を濡らし、みじめな哀しいセヴンティーンの誕生日をうんうん喘ぎながらふたたび、暗闇の物置のなかに見出して無気力にさめざめと泣きむせびはじめた。」

現実から逃避するために、やりたくもないのにやっている様子が、「むりに勃起させはじめた」という表現から伝わってくする。そして、射精直前の快感をイルミネーションで表現し、一瞬の快感と共に賢者タイムに突き落とされる。森岡正博は、この感覚を「墜落感」といい、「男の不感症」という。

「生きているあだいいつもオルガスムだったらどんなに幸福だろう」という独白は、いかに男性の射精の快感が一瞬で儚いものかを知らしめるのに十分である。

女性もストレスや現実逃避のためにオナニーする場合は多いようだが、女性の場合は、何度も連続してイクことができるし、イッたあとに賢者タイムに入ることもなく、緩やかに快感が収まっていく。

むりに勃起させたて射精したあげく、結局は賢者タイムに突き落とされる悲壮感は、一度目の射精とは全くの別物である。この作品では、非常に対照的な2つの射精が続けて表現されている点で、とても印象深い。

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